上海の流儀 of Arata DODO Photography


序文

懐かしい、実に懐かしい街のたたずまいと人々の顔だ。
中国へ行ったことがなく、上海を知らない私が、
これらの写真を見て懐かしく思うのは、
1960年代前半の日本の街の記憶が甦るからだ。
戦中、アメリカにこっぴどく叩かれ、ようやく瀕死の状態から脱して立ち直り、
高度経済成長へと向かう直前の発展途上国。
当時の街は、至る所が掘り返されて工事現場と化し、
人々の表情は楽天的で明るかった。
上海には貧しさと豊かさが同居している。
その複雑に入りまじった生活の綾に私は魅せられる。
上海の街は、東京より大阪の街に似ていはしないか。

百々さんは、上海を、わが街のように撮っているのだ。
クローズアップもミディアムショットもなく、
フルショットだけで対象を切り取る
百々流の写真術の「流儀」をここに見る。

                             東松 照明



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Media

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朝日新聞  2000.3.19(日)

大阪港を正午に出る鑑真号に乗れば、2泊3日の「心が先に着く船旅」を満喫できるという。それを聞いただけで、浜のキャバレーで船を見つめていた〈リル〉を探しに行きたくなる。東シナ海の青い海にそそぎ込む黄土色の水が、いつまでも混ざらないように、掘りかえされた泥の道や空き地にくっきりと残されたわだちの跡が、ガラスの摩天楼を遠ざける。むき出しの街にナマの水の匂(にお)いがする。40年前の日本に連れもどされたようだ。二十数年前に生まれた青年には、その懐かしさはみじんもないだろう。身長が2mもある日本人ばなれした百々氏が見たのは、リアルな現代のアジアだ。おびただしい数の人間の暮らしの機微がすみずみまで写し込まれて、生々しい。中庸に立ちながら、決して単純ではない視線。他者に向けるそのまなざしに強い磁場とその意志を感じる。2mの高さから見れば、それぞれの人の生きざまが、河と海の境界のように鮮明に見えてくる。(瀬戸正人)



『文藝別冊 J−フォトグラファー』   2000.3



百々新の『上海の流儀』を眺めていて、関西圏で活動する幾人かの写真家のことに思いが及んだ。『海まわり大阪環状線』の妹尾豊孝、『神戸昭和五十年』の永田収といった、むしょうに地味だけれど魅力的なストリート・フォトの実践者、今も関西圏には「アジェのように生きてみる」という選択を可能にするなにかが根絶やしになっていないのかもしれない、と感じさせる彼らのこと。むろん百々はもっと若く、上海の街々に注がれるその眼差しは柔らかい。いつもセクシーな解放感の流露をともなっていて、ひとつ処に淀みこむ感じはしないし、固定したスタイルへのナルシスティックなこだわりからも、ずいぶん自由で身軽なのだ。一冊のなかの視線の散らばり具合にこそ、彼の流儀を見たい。と同時に、やはり気になるのは、ここにあるものが培われたバックグラウンドのことであり、現在の東京あたりの育ちでは産まれてきにくい写真なのではないか、と思えてならない。(大日方欣一)





『OLYMPUS フォトグラフィー』   2000.6【現代写真時評】




〜ところで今回の同(木村伊兵衛写真賞)審査は百々新写真集『上海の流儀』と最後まで意見がわかれたのだそうだ。百々さんも若い。一九七四年生まれである。しかし彼の写真は堂々としてしかもケレンもなく、若さを演じようとするのでもない、それがもっとも初々しさを感じさせる秀作である。受賞結果はともあれ、この一年を通じたもっとも魅力的な写真集の一つにこの『上海の流儀』が挙げられるのは間違いない。〜(柳本尚規)




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